【塾長ブログ】成績に表れない一面
こんばんは、塾長の新井です。
大変ご無沙汰してしまい申し訳ありません。すっかりと、秋めいたお天気になってきましたが、皆さんお変わりありませんか。
久喜市では、先週から来週までが中学校の中間テストシーズンとなっており、日々自習に来る生徒の姿が増えております。素晴らしいのは、定期テストが終わった後も手を抜かない人が多いということです。中学生だった頃の自分に見せてあげたいほどです笑
さて、前置きが長くなりましたが、今日は「成績に表れない一面」というお話をしていきたいと思います。
巷で言う“塾”というのは「成績を上げるための場所・志望校に合格するための場所」として認識されていると思います。もちろん、これは間違った認識ではありません。
現に、我々のところに来る生徒の多くが「成績を上げたい」「○○高校(大学)に入りたい」と志をもって門を叩いてくれます。
しかし、これはあくまでも生徒側に立った場合のお話で、我々はそれよりももう一歩踏み込んでいかなくてはいけないと感じています。そのポイントが“成績に表れない良さを見つけること”です。
ご存知のように、中学生の場合は、国語・数学・理科・社会・英語・技術家庭・音楽・美術・体育の9教科が通知票上評価されますが、これは人の中のごくごく僅かな一面でしかありません。当然ですが、これだけで人としての評価を決めることはできないのです。
例えば、当塾の前にかかっている看板や私の名刺の裏面に描かれている「夢」という文字を書いたのも、ホシっ子の一人です。我々が普段見ている成績書類(偏差値や順位などが載っている書類)には表れてこない、この子らしさだと思います。
また、ノートの端にとても上手い絵を書く子もいます。教室で使用しているサンダルを綺麗に整頓してくれる人もいます。近隣の人にしっかりと挨拶できる生徒もいます。いずれも、成績には表れてこない良さです。
大人になって活きてくるのは、もしかするとこのような側面なのかもしれません。だからこそ、我々は成績にもこだわりつつ、+αとして人としての良さを見つけられるよう普段の言動に注視しています。
以前、塾生のお父様に「息子を星学院に任せているのは、親・学校の先生とは違う第三の大人としての視点で見てもらいたいからだ。」と仰っていただいたことがあります。
心に刻み込んだ言葉の一つです。我々は、第三の大人として、子どもたちの「学習」と「良識」を育てていかなくてはいけないのだと思いました。
なお、この「良識」という言葉ですが、日本語だと非常に抽象的な意味でとらえられますが、フランス語に直すと、Bon sensと言います。Bonは良いという意味で、sens(サンス)はセンスですから、良いセンスを身に着けること=良識を身に着けることと言うことができるでしょう。
我々の教育は、「学習」と「良きセンス(子どもの良さ)」を引き伸ばすことを目指していくものだと感じた今日この頃でした。
【写真】塾生が書いた「夢」の書が印刷されている私の名刺の裏面です。